お知らせ

徳洲会グループ 創立50周年記念式典を開催 節目祝い一層の発展と社会貢献推進

2023.11.29

徳洲会グループ
創立50周年記念式典を開催
節目祝い一層の発展と社会貢献推進

徳洲会グループは11月16日、都内で創立50周年記念式典を開催した。1973年1月にグループ第1号の徳田病院(大阪府、現・松原徳洲会病院)を開設してから半世紀が経過、徳洲会は離島・へき地を含む全国に75病院、合計400に上る医療・福祉・介護施設・事業所を展開し、4万人超の職員を擁する国内最大の民間医療グループに成長を遂げた。徳田虎雄・名誉理事長と親交の深い方々や、“生命だけは平等だ”の徳洲会の理念に賛同し、全国の徳洲会病院・施設の活動に協力した方々など約800人を招待、盛会となった。ともに節目を祝い、次の50年に向け、さらなる発展と社会貢献を誓った。

約800人の出席者でにぎわい式典は大盛会

式典は東上震一・医療法人徳洲会(医徳)理事長兼一般社団法人徳洲会(社徳)理事長の挨拶に始まり、来賓祝辞、徳洲会50年の歴史を振り返る動画の上映、国内外で災害医療支援活動などを行うNPO法人TMAT(徳洲会医療救援隊)や、徳洲会体操クラブの活動報告に加え、鹿児島県・奄美大島出身の歌手、元ちとせさんが力強い歌声を披露して華を添えた。

東上理事長は登壇すると、昨年6月の4代目理事長就任後に徳田・名誉理事長と面談した際のエピソードに言及。

「『徳田先生の思いを継いで、徳洲会のさまざまな事業を頑張って進めていきます』と、お伝えしました。徳田先生は、とても数字に細かい緻密な方なので、『先生の教えのとおり“数字合わせ”はしっかりと行います』とお話しました。その時、徳田先生がパッと目を見開きました。闘病されていても徳田先生はやはり徳田先生だと確信した瞬間でした」

「『世の中のためになりたい』という思いしかありません」と東上理事長

「徳洲会のような組織とオールジャパンでの国際貢献を」と杉山・元事務次官

「いつの日か世界の厚生省に」と秀子夫人

徳田・名誉理事長は全国の患者さんのためにグループを精力的に牽引していたさなか、ALS(筋萎縮性側索硬化症)を発症、以来20年に及ぶ闘病生活を現在もなお送っている。

「徳田先生はすさまじい情熱の塊」と松原代議士

「離島医療を支える仕組みは徳洲会だけができる」と二川・元事務次官

徳田・名誉理事長とのエピソードをはじめ徳洲会の職員だった頃を懐かしげに振り返る盛岡理事長

徳田・名誉理事長とのエピソードをはじめ徳洲会の職員だった頃を懐かしげに振り返る阿部代議士

続いて、理事長としての初志と抱負をあらためて宣言。「日本のみならず世界中で、ひとりでも多くの方々に『徳洲会があってくれてよかった』と思っていただけたらうれしい。職員一同、全身全霊を込めて徳田先生の思いを引き継ぎ、徳田先生が思い描いていた以上のものをつくり上げ、世の中に奉仕したい、貢献したいと考えています」と力強く語った。

最後に、関係者に対する謝意を表し、「50年でここまでこられたのも、ご来場の皆さま方のおかげです。これからの50年、100年も皆さんの力をお借りしながら、さらにグループの充実を図り、『世の中のためになりたい』という思いしかありません。社会に役立つ、もっと大きな集団に発展していきたい。これからもご支援をお願いします」と呼びかけた。

「世界の厚生省に」

「徳田先生の思いを全世界へ」と次なるステップを示す福島・最高顧問

来賓挨拶では、はじめに杉山晋輔・元外務事務次官が登壇。「厳しい財政事情のなか、政府開発援助(ODA)など資金力での国際貢献は難しくなっていきます。そうしたなか、国際的にも医療・福祉の面で、政府だけでなく徳洲会グループのような組織と一緒になり、オールジャパンでの活動が今こそ求められていると思います」と一層の貢献に期待を寄せた。

次いで登壇したのは徳田秀子・名誉理事長夫人。秀子夫人は徳洲会の黎明期に、徳田・名誉理事長と二人三脚で苦労をともにしながら病院づくりに邁進した。「“生命だけは平等だ”には、病気でお困りの患者さんが地位や名誉や財産で左右されず、誰もが最善の医療を受けられる医療界であるべきという主人の強い思いが込められています。より良い医療界にしたいという強い気持ちがあったからこそ、大変な時期を乗りきってこられたのだと思います」と述懐。

徳洲会の過去と未来に思いをはせる安富祖・最高顧問

最後に「いつの日か徳洲会が世界の厚生省となり、世界平和に貢献できたらと夢見ています。これからも、患者さま本位の医療の実践を期待しています」と胸中を語った。

この後、松原仁代議士が、徳田・名誉理事長との約40年前の出会いを振り返り、「私が松下政経塾の2期生の時。徳田先生はすさまじい情熱の塊で、室内に入ってくるなり、すごい迫力で演説したのを覚えています」と回顧。「医療の革命児としての徳田先生は、私にとって最も尊敬に値する日本人のひとりです。これからも徳洲会を応援していきます」と力を込めた。

力強い歌声で魅了する元ちとせさん。『ワダツミの木』など3曲を熱唱

続いて、二川一男・元厚生労働事務次官は「厚労省を退官後、離島などに立地する徳洲会病院を見学する機会をいただきました。奄美群島や屋久島を訪れ、なんと2泊3日でまわることができました。軽飛行機(徳洲号)に乗せていただいたからですが、徳洲会はこの軽飛行機を使って医師が離島間を行き来し、医師をうまく融通させて離島医療を行っています。徳洲会だけができる芸当と実感しました。ぜひ、このまま地域医療の一層の発展に尽力していただけたらと思います」とエールを送った。

徳洲会の歴史を振り返る動画は再現ドラマなどでわかりやすく紹介

乾杯の音頭は福島安義・医徳最高顧問兼学校法人徳洲会理事長兼NPO法人TMAT理事長が取った。福島・最高顧問は「私たちは、創始者である徳田先生の“生命だけは平等だ”の理念の下、『いつでも、どこでも、誰でもが最善の医療を受けられる社会』を目指して活動してきました。これからは、この思いを全世界へもっていくステップにあると思っています」と胸の内を明かした。

日頃の支援に謝意を表し来年のパリ五輪などに向け意欲を見せる米田監督

元職員による来賓挨拶も行い、はじめに盛岡正博・学校法人佐久学園理事長が登壇。徳之島出身で羽生総合病院(埼玉県)や湘南鎌倉総合病院(神奈川県)などで院長を歴任した盛岡理事長は「とりわけ、徒手空拳で徳洲会を創設され、現在でも病室で頑張っていらっしゃる徳田先生に、お祝いをお伝えしたいと思います」と切り出し、1981年から約16年間、徳洲会に在籍した当時を述懐。

全国で病院づくりを進める活動に参加したエピソードを披露し、「徳洲会の活動は、医療過疎地に病院を開設するだけでなく、戦後の社会づくりや経済発展を支えるきわめて重要な活動であり、“歴史的な社会運動”だったと思っています」と振り返った。また、当時から徳洲会は国内のみならず開発途上国の医療問題にも強い関心をもっていたことも紹介した。

「協力と連帯が大きな力」

TMATの紹介動画は実際に支援している場面や関係者の熱い思いを盛り込んだ内容

続いて、千葉徳洲会病院で院長を務めたことがある阿部知子代議士が登壇。政界に進出するにあたり徳田・名誉理事長から教わったこととして、①社会には不平等が多々あり命すら守れない現実がある。それを変えなさい、②有権者と両手で握手し、頭を下げ、誠心誠意接すること。そして、地域のために何かやりなさい──という2点を挙げ、それらが「現在も私の支えになっています」と明かした。

歓談中には徳洲会体操クラブの米田功監督が、同クラブでの現役時代を振り返るとともに、来年のパリ五輪に向け意気込みを語った。

杉野正尭主将、髙橋一矢副主将、OBの水鳥寿思・日本体操協会男子強化本部長もビデオメッセージで50周年を祝福した。

式典出席者に贈呈したお土産セット。創立50周年記念誌や徳洲会のレシピ本、徳田・名誉理事長著『生命だけは平等だ』、松下隆一著『虎雄とともに 徳田秀子が支えた医療革命』、奄美群島の品々など中身が充実

式典の最後に安富祖久明・医徳最高顧問が挨拶。安富祖・最高顧問は、あらためて関係者に謝意を表し、グループの過去と未来に言及。「節目に立つ今、私たちは過去の偉大なる努力と献身に心を向けます」と切り出し、「協力と連帯の力がどれほど大きなものであるか。医療への使命を不断に実践することこそが、成功に導くカギであることを示しています」と指摘した。

そのうえで「私たちは先人の遺産を受け継ぎ、これからの50年に向けて、新たなビジョンを紡ぎ出さなければなりません。医療技術において、より一層、革新的に、かつ地域社会に深く根差した医療を提供し、さらなる進歩を遂げる時です」と強調。「皆さまのご支援とご協力の下、ともに歩み、ともに成功を分かち合い、ともに未来を切り開いていくことを願っています」と締めくくると、会場は大きな拍手に包まれ、式典は盛況裏に幕を閉じた。

ページの先頭へ