追悼──万波誠先生 腎移植の歴史に偉大な足跡
追悼──万波誠先生
腎移植の歴史に偉大な足跡
在りし日の万波先生(写真提供:えひめ移植者の会)
10月14日、万波誠先生の訃報に接しました。あれから早1カ月余り、いまだに信じられない思いでいます。
先生との出会いは2006年、腎移植に絡んで臓器売買が行われているのではないかと、メディアが誤った報道をしている時、徳田虎雄理事長(現・名誉理事長)から「万波先生の話を聞いてほしい」との依頼を受けてのことでした。万波先生は緊張して身構える私に心優しく接し、修復腎移植の経緯や日本での腎移植の現状、腎がんの病因論など多くのことを語られました。そしてメスを握る外科医のあるべき姿を説かれ、「技術を磨く情熱、研究心、忍耐、努力は患者さんのために当然」と話されました。激することなく淡々と、時折、人懐こい笑顔を見せる素朴な姿からは何らの物欲、名誉欲などを感じさせず、患者さんのため手術にこだわり、最新の医学知識を学び、研究を続けるという精神力と行動力は、求道者に思えたほどです。
その後、修復腎移植は09年に臨床研究として開始され、18年には先進医療として認められました。万波先生が行った修復腎移植は、慢性腎不全や透析困難症に苦しむ患者さんへの救助の思いから生まれ、卓越した先進性のある技術として進歩してきました。今はまだ症例を重ねることができていませんが、近い将来、きっと患者さんたちの福音になるものと信じています。
万波先生は、命が燃え尽きるまで患者さんのために誠心誠意、診療にあたられました。心からの感謝とともに、ご冥福をお祈りし、お別れの言葉とさせていただきます。
医療法人徳洲会最高顧問 安富祖 久明
万波先生との出会いは2004年、宇和島徳洲会病院(愛媛県)が開設された時です。下着のシャツに、裸足にサンダル、白衣一枚、患者さんへの接し方と、あの何とも言えない笑顔が最高でした。
天才的な手技と圧倒的な症例数の故に06年10月、臓器売買・病気腎移植問題が発生しました。病腎移植とは、腎臓がんや動脈瘤などの治療のために摘出した腎臓を修復し、腎不全で困っている別の患者さんに移植する技術であり、今で言う修復腎移植のことです。当時、日本移植学会や厚生労働省は同院に調査に入り、メディアが連日のように報道しました。腎がん再発の懸念や、摘出しなくてもよい腎臓を摘出したのではないかなど、さまざまな論争がありました。その当時行われた病腎移植42症例すべてについて検証され、腎がんの再発はなく、棄てる腎臓を再利用でき、ドナー(臓器提供者)にも負担がなく、画期的な方法と海外からは賞賛されました。国内では今や先進医療として認められています。
先生は今年81歳。年齢を感じさせない体力があり、若かったです。格好も仕事に対する情熱も変わりませんでした。生活すべてを腎移植に注がれ、野菜づくりも犬の散歩も山登りも、すべて体力維持のためでした。知識も手術手技も世界の第一線にあり、目の前の患者さんに対峙され、難しい症例には、つねに挑戦者でした。常日頃の努力のなかから、修復腎移植も生み出されたのです。生涯現役でした。腎移植手技を「神の手」と称されるまで高められた先生の功績を偲びながら、ご冥福をお祈りいたします。
福岡徳洲会病院総長 貞島 博通
万波先生の突然のご逝去の報に接して、数十年来の思い出が胸に去来し、感謝の気持ちとともに、切なさを噛み締めております。
先生は医師の家に育ち、その心構えを刷り込まれ、宇和島市で初の腎移植手術を実施されました。米国留学を経て、宇和島徳洲会病院に移られた後、臓器売買事件と5学会との病腎移植論争、病腎移植42例の論文発表と米国での表彰など数々の出来事がありました。
徳洲会での修復腎移植臨床研究18例では“ブラックジャック”の腕前を発揮され、私は十数年にわたり貴重な経験をさせていただきました。また、当院で診療を共にした約2年間は、“速くテンポの良い手術。他院で断られた難手術を臆せずこなし、匙を投げられた患者さんを親身に受け入れ、月~土は毎日外来。早朝から晩まで患者さんに寄り添う診療”などを目の当たりにし、多くを学び得ました。「腎臓を修復して使えば、困っている患者さんへの恩恵は計り知れない」と、修復腎移植のパイオニアとして舵取りに尽力され、瀬戸内グループとともに財産(腎移植1,326件)を築かれるなど、我が国の移植医療に残した足跡は、歴史に永遠に刻まれるでしょう。
万葉集の中の挽歌「人はよし 思ひ止むとも玉鬘 影に見えつつ忘らえぬかも」を私の思いに代えさせていただきます。患者さんのために闘い続けられた心優しき医師の御霊に、お世話になったお礼を述べるとともに、築かれた当院の移植透析センターと泌尿器科診療を大切に継続する決意を新たにしております。どうか安らかにお休みください。
宇和島徳洲会病院泌尿器科部長(修復腎移植臨床研究総括責任者) 小川 由英