お知らせ

追悼――中村哲医師 「病はあとで治せる。まずは生きておれ」

2019.12.18

追悼――中村哲医師 「病はあとで治せる。まずは生きておれ」

アフガニスタンで整備した用水路の前に立つ中村医師アフガニスタンで整備した用水路の前に立つ中村医師

徳洲会グループと縁の深い「ペシャワール会」現地代表で、PMS(ピース・ジャパン・メディカル・サービス)基地病院総院長の中村哲医師が12月4日、アフガニスタンで車で移動中、凶弾に倒れた。

中村医師は1946年、福岡県に生まれ、九州大学医学部卒業後、病院勤務を経て84年、パキスタン北西のペシャワールにあるミッション病院への派遣要請を受け赴任し、パキスタン人やアフガン難民のハンセン病治療を開始。そのかたわら難民キャンプでアフガン難民の一般診療にも携わった。

赴任前の82年、神経内科を専門とする中村医師は福岡徳洲会病院で内科や外科の研修を受けた。現地ではさまざまな疾患の治療を行う必要があるためだ。中村医師は現地で診療活動を10年間継続、その間、徳田虎雄・徳洲会理事長(当時)に医療支援を求めた。ミッション病院ハンセン病棟に「この建物は徳洲会の援助で設立された」と書かれたプレートが掲げられているのは、そうした経緯からだ。


89年、中村医師はアフガニスタン国内に活動を広げ、山岳部の医療過疎地でハンセン病や結核など貧困層に多い疾患診療をスタート。2000年には旱魃(かんばつ)被害に苦しむ現地で、灌漑(かんがい)事業を始め、03年からは農村復興のため水利事業に携わっていた。

中村医師が聴診器を重機の操作レバーに持ち替えたのは、医療よりも“パンと水”の確保が焦眉の急を告げていたからだ。旱魃により現地では1,200万人が被災、WHO(世界保健機関)は飢餓線上の人が400万人、100万人は餓死すると発表。中村医師は「病はあとで治せる。まずは生きておれ」と井戸1,600本を掘り上げた。

その後、砂漠化した大地を復活させるため、7年がかりで灌漑用水路25.5㎞を整備、1万4,000ヘクタールを緑地化し、60万人の食料を生産するまでに至った。

中村医師は現地での体験をとおして次の言葉を残している。「私たちが己の分限を知り、誠実である限り、天の恵みと人の真心は信頼に足るということです」

ページの先頭へ